2月20日

涅槃会

毎年2月15日は涅槃会(ねはんえ)といい、お釈迦様の亡くなった日として仏教では4月8日の降誕会(ごうたんえ:お釈迦様の誕生日、花祭りまたは灌仏会とも)と12月8日の成道会(じょうどうえ:お釈迦様が大悟なさった日)とともに三仏忌(さんぶっき)とよんで供養が営まれます。

一人の人間として生まれたお釈迦様すなわちゴータマ・シッダールタは29歳で出家し35歳で大悟して仏となりその後45年の間、諸国を遊行し法を説きました。
そして、80歳のとき(西暦紀元前383年や 前480年等の説有り)生涯を閉じたのです。


最後を迎えたのはインドのクシナガラという街の沙羅双樹つまり2本の沙羅の木の間で、頭を北に顔を西に向け横たわり入滅されたと伝えられます。無くなった直接の原因はクシナガラの在家信者チュンダ氏の供養した食事(キノコ料理または豚肉料理だったとか)がもとで、激しい下痢に襲われたことだと記されています。

この姿に、仏教の無常の教えが説かれるわけですが、仏教という教えの性質をよくあらわすのがこのお釈迦様の亡くなり方ではないかと私は思うのです。

キノコか豚肉がもとで下痢。

聖者の命のつきるときとしてはあまりに劇的でなく、むしろ平凡。弟子たちの中には仏であるお釈迦様が命つきる時を迎えることなどあり得ないと考えたヒトもあったかもしれません。しかし、この世とは自分の通りに行くものでなく、死に方さえ選ぶことは出来ない。お釈迦様は説法の地、霊鷲山(りょうじゅせん)から生誕の地ルンビニを目指しての旅の途中だったのですが、その思いも届かず亡くなります。これを受け入れて亡くなっていくお釈迦様の姿こそが涅槃寂静の仏の姿なのでしょう。

涅槃会の時には『涅槃図』という絵を掛けてお祭りします。
常林寺にも古くから伝わる涅槃図があります。


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沙羅双樹の間に横たわり死を迎えるお釈迦様と、まわりに悲しむ弟子たちとお釈迦様を慕う動物たちも集まります。天からはお釈迦様の母上であるマーヤ夫人。お迎えに来たのではなく、お薬を届けに来たのだそうです。しかし、天から投げた薬は沙羅の木にひっかかりお釈迦様のもとまでは届きません。これが生者必滅を示唆しています。この枕元に集った弟子たちに向けて最後にした説法をまとめたお経が『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』(正式には『仏垂般涅槃略説教誡経』という)です。曹洞宗では正伝の仏典として尊重されています。

なお、余談ですが、お釈迦様が入滅の時、北を頭にして横になったということから、『北枕』という迷信があります。しかしながら、おしゃかさまは亡くなるときだけでなく、常に北を頭に、顔を西(頭北面西:ずほくめんさい ということばが禅門には伝わっております)にしてお休みになっていたようです。ですから、北枕が縁起が悪いということはないのです。ご参考まで。

さらに補足。仏教では肉魚を食べることは殺生と伝えられますから、文中の中でお釈迦様が豚肉をというくだりがあるので不思議に思った方もいらっしゃるかもしれません。お釈迦様の時代、供養を受けるときはその内容を問わず何でも頂いていました。肉魚が禁忌となったのは仏教が主に中国に伝わる段階だといわれております。しかも、理由は殺生だからではなく、肉魚が贅沢なものであり、体に余分な栄養、精力をあたえるものだからです。肉魚が殺生であれば、お米、野菜をいただくことも殺生です。どの食べものも、かならずなにかの命を頂くことであります。仏教徒の第一の戒法は『不殺生』。殺生とは自らが長らえるのに足ること以上のモノの命を奪うこと。そして、自らの命を長らえるために頂いたものに対する感謝とそれに足りる自らの行いを知らないことなのです。

2月6日

節分追儺式 大般若祈祷会法要

先月お知らせしたとおり、2月3日節分の日、恒例の節分の法要が営まれました。



近隣の曹洞宗寺院15人ほどにご協力をいただき、大般若のご祈祷です。
写真のように、600巻にわたる大般若経、お経は10巻づつカバーで立て積みにパックしてあり、10巻セットは高さ30センチ、重さ3キロほどになりますが、そのお経を「転読」といって大きくページを滑らせるようにあっという間にめくっていきます。それを繰り返すことによって、すべて読んだのと同じ功徳がえられるというのがこの法要のスタイルです。
たくさんのお坊さんが転読する様子はなかなか見応えがあります。
娯楽のすくないいにしえの時代にはまさに、エンタテインメントだったことでしょう。

大般若祈祷は節分に限らず、さまざまな法要で修行されます。
私が修行した大本山総持寺では毎朝のおつとめで毎日営まれます。

ご祈祷の法要が終わると豆蒔きです。
法要をお手伝いくださったお坊さまと、4名の年男年女の皆さんが”裃(かみしも)”や晴れ着で、参列の善男善女に「福は内」。



豆や紅白の餅、小袋のお菓子、招福の5円玉”福銭”などがまさに雨あられと撒かれますと、縁起物の巻物を求めて参列者が上を下への大騒ぎ。

豆蒔きが終わると福引き大会。
お札を申し込んだ方には、1枚に付き1つ、福引き券が渡されます。
お寺が用意した景品と共に、檀信徒の方々が御志納してくださった景品が当たります。
箱根西麓で農業を営むかたからは白菜やレタス、ざぼんなどの青果。食品製造の方からは自社製造のお鍋のだしや、わさびドレッシング。おもちゃ屋さんからは子ども向けにおもちゃ。こちらもみなさん真剣です。

本堂内での行事が終わった後は境内で餅つき。本堂の軒先で臼と杵で餅つきをつきます。
お天気にも恵まれましたので、あたたかな日差しの中、つきたてのお餅を雑煮やおろし餅で召し上がっていただきました。

法要に際しては、お寺の梅花流詠讃歌講と白瀧観音講の講員の皆様、護持会役員の皆様を中心に、多くの檀信徒の皆様のご奉仕をいただきました。おかげさまで今年も楽しい法要となりました。
ありがとうございました!