
3月31日
年度末
ついこの間お正月を迎えたつもりでしたが、もう明日から4月。
常林寺の夜坐には、何人かの小学生のお子さんも坐りに来てくれます。
いまは春休みですね。
学生の頃まではやはり、4月というと学年も変わりますし特別な気持ちで迎えた記憶がありますが、最近はお役所の年度ともあまり関係ないので、すんなりと通り過ぎてしまいます。
でも春休みのこどもたちをみると4月の”あたらしい”感じを思い出します。
4月になったら、もうオテライブです。
去年のオテラミンことテルミンのオテライブは、そういえば3月29日に開催されました。
そのときの様子の写真をまったくアップしていないのに気づいたので、ここにすこし載せておきますね。
3月19日
彼岸会
今週はお彼岸です。
皆さんご存じの通り、春分の日を中心として前後3日の一週間が春のお彼岸です。
お彼岸とは、川の向こう岸。
三途の川の向こう側じゃありませんよ・・・さとりの岸の向こう側。心安らかなさとりの世界といえば適当でしょうか。
昼夜の長さが同じである春分、秋分を彼岸とするのは、お釈迦様が説いた「中道」という教えがもとになるといわれています。
その昔・・・
お釈迦様は出家してから6年間、バラモン教の教えの下、苦行といわれる体を厳しく痛めつけることにより精神を高めようとする修行に取り組んでいらっしゃいましたが、いっこうに心の安まる様子がないその修行の方法に疑問を抱き始めていました。
そんななか、たて琴を弾きながら歌うひとがお釈迦様のそばを通り過ぎていきます。
その歌はこんな内容だったとか。
「たて琴の、弦をゆるめすぎれば音は鳴らない。きつく締めすぎれば弦は切れてしまう。ちょうどよく張るといい音が鳴るのさ〜♪」
その歌にお釈迦様ははたと、いままでの苦行が間違いだったことに気づき、それ以後坐禅を中心とした修行でさとりを開く道を開いていくのでした。
なにごとも極端に偏ることは、私たちの心を乱してしまう。
それが中道の教えです。
さて、お彼岸は仏教国の中でも日本独自の行事です。
仏教が伝来する以前から、特に宮中では春分、秋分に祖先を敬いまつる習慣があったようです。
それが、中道の教えと結びつき今のお彼岸の行事になったと考えられています。
私たちの命も、いま自分で見ることが出来るカラダ、カタチだけにとらわれてしまうと正しく生きることが出来ないのではないでしょうか。その命がどのように伝わってきたか、どのような縁で支えられているか、ただしく認識することで、私たちの心も中道のバランスによりさらにいきいきと、やすらかになっていくものなのでしょう。


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